「このまま昇っていいのか」。
30年勤めた会社を降りて、千葉の教室に立った。
2025年着任。飲料メーカーに30年勤め、管理職を経て転身。
「自分がどうなるか分からないから、面白い」
20歳そこそこで飲料メーカーに入社した頃、「自分が社会に出て何ができるか」なんて分からなかった。だから、会社をよく知る先輩に「これが合っていると思うから、やってみなよ」と勧められる仕事を、次々に引き受けた。人事、営業、営業企画、本社で全国拠点の支援。ひとつの軸に絞らず、できることを社の中で試していった。「自分がどうなるかは分からない。だからこそ面白い」。そうして30年、管理職まで歩んできた。
上り続けたキャリアの、次のステップ。それは全国転勤や会食の増える日々でもあった。一昨年、父が入院した。10年前に母を見送り、長女として父の近くにいたいと思った。自分の健康も、これからの生活も気になった。「このままでいいのだろうか」。いくつもの思いが重なった。
名前に込められた、「千葉を助ける子」
千葉生まれ、千葉育ち。彼女の名前には「千」の字が入っている。「千葉を助ける子」----生まれる前に亡くなった祖父が、そう願って名づけてくれた。けれど会社では、なぜか千葉に縁がなく、全国ばかりだった。「最終的には千葉に貢献したい」。その思いは、ずっと胸の片隅にあった。
地元の課題を探すうち、教員不足を知る。「先生がいないってどういうこと?」。友人との会話で受けた衝撃が、背中を押した。通信教育で小学校教員の資格を取得。父の入院と重なって、「今だ」と思った。「30年続けた仕事も大切に思っています。でも、後悔はありません」。ずっとやりたかったことへ、ようやく動き出せた。
ここは、「人を疑わなくていい」世界だった
始まりは、産休を控えた先生のサポートだった。授業の準備、テストの採点。「妊娠中の先生を通勤ラッシュに乗せるわけにはいかない」と、できることは何でも引き受け、早く帰ってもらえるようにした。「本当に助かります」「ありがとう」。児童の役に立つより先に、まず先生の役に立てる喜びを知った。それは、彼女が「やりたい」と思ったこと----教育現場の大変さを、少しでも減らすこと、そのものだった。
いまは産休に入った先生の後を継ぎ、4年生の授業を受け持つ。国語、算数、書写、図工。「たくさんの教科は大変では?」とよく聞かれるが、指導書があり、まずはその通りにやれば授業は成立する。そこから、自分の工夫を足していける。何より驚いたのは、職員室の空気だった。「大人が、みんな児童のために一生懸命がんばっている。だから、ここでは人を疑うということがない」。
大切なものを、ちゃんと大切にできる
勤務は1日5時間、週4日。フルタイムではない働き方だ。生活は劇的に変わった。外食続きだった日々から、自炊とストレッチ・筋トレの毎日へ。「ものすごく健康になりました」。地元の友人と笑う時間が増え、父の近くにもいられる。「大切なものを、ちゃんと大切にできるようになった」。
千葉で少しでも役に立てることを。という願いを、いま、自分に無理することなく叶えている。会社では、人が良すぎて評価されにくかった人を何人も見てきた。「そういう人こそ、教える現場で輝くのに」と思う。企業でうまくいかなかったとしても、ここでは強みに変わるかもしれない。小学校でも様々な業務がある。転職先の選択肢にぜひ、教育現場を入れてほしい。
キャリアは、上り続けることだけではないのかもしれない。名前に託された願いに応えるように、彼女は地元に帰って、異なる可能性を拓いた。
30年のキャリアも、管理職の経験も、尊い。ただ、「大切なもの」の並び順が、あるとき静かに入れ替わった。
キャリアには、いつか「還る」場所があるのかもしれません。
※「ちばで転職した、ひとのはなし」編集部セレクト。ご本人・所属先の意向により、お名前と前職の社名は伏せて掲載しています。