家族と千葉に残るための転職だった。
でも、そこは、いちばん夢中になれる場所だった。
2014年入社・現在12年目。入社直後から機械加工をほぼ一人で担い、内製化を主導。
「これからも千葉で」。それが、動いた理由だった
高校を出て、なんとなく「大手なら安心」と選んだ会社。入社後、機械加工か組立かの配属で、先輩に誘われるまま機械加工へ進んだ。ところが----やってみたら、ハマった。「自分の手ではつくれないものが、機械を使えばつくれる。それがとても面白くて」。NC旋盤を中心に、腕を上げていった。
転機は、勤め先の工場が他県へ移転すると決まったこと。すでに結婚し、子どももいた。単身赴任という道もあったが、「やはり家族と一緒に暮らしたい」。千葉で暮らし続けるための転職だった。自宅から通える範囲で、好きな機械加工を続けられる会社を探し、三立機械工業に行き着いた。
自分のつくった部品が、そのまま製品になる
決め手は、自社製品を持ち、開発から製造までを自社で手がけていること。「自分のつくった部品が、自社の製品に直結する」----そこに惹かれた。前職は規模が大きく、加工・組立・検査が別の場所にあって、自分の部品がどう使われるかは見えにくかった。三立は各工程が同じ工場の中にある。部品が製品になっていく過程を、間近で見られる。それは面白そうだ、と思った。
一人担当は、不安だった。でも、自由でもあった
同じ機械加工でも、使う機械は変わった。NC旋盤中心だった前職から、マシニングセンタや汎用フライス盤へ。マシニングセンタは初めてで、勉強しながら覚えていった。そして入社して間もなく、前任の先輩が退職。機械加工は、自分一人で担うことになった。「大変ではありました。でも、その分、自由度も高くて、やってみたいことを試せる環境でもあった」。
目をつけたのは、部品製作の内製化だ。入社当時は外注が多く、社内で加工できるのは6割ほど。社長と相談し、「内製化できる部品を増やす」という目標を掲げた。合理化して時間をつくり、その時間で新しい部品に挑戦する。段取りと加工の時間を記録・分析し、加工中に次の段取りを並行して進める。治工具は展示会で情報を集め、違うものを試す。約10年かけて、内製率は9割以上に。PCも得意ではなかったが、先輩に教わりながら使いこなせるようになった。
続ける原動力は、シンプルだ。「できなかったことが、できるようになる。技術が上がるのが嬉しいし、純粋に面白い」。同じことの繰り返しになるのが嫌で、ルーティン化を防ぐためにも、常に新しいことへ手を伸ばす。制約の多い一人担当が、いつのまにか"いちばん夢中になれる自由"に変わっていた。
近い将来は、二人で
部品ベースで9割以上を内製化し、「できることはやり切った」。次の目標は、より大型の部品を自社で加工すること。そのために必要な機械について、「これを入れればこれだけコストを削減できる」という資料を自分でまとめ、先日、社長に提案したばかりだ。もうひとつの願いは、後進を育てること。「ずっと一人で担当してきた。自分の仕事を引き継いでくれる人を育てて、さらに新しいことに挑戦できる体制をつくりたい」。近い将来の二人体制を、楽しみにしている。
とことん極めたくなる性分は、仕事の外でもそう。お笑い好きが高じて、今年はM-1に息子と親子でエントリーしてみるつもりだという。会社は数年前に完全週休二日となり、プライベートも大事にできるようになった。
「攻め」ではなく、家族と暮らしを守るための転職だった。でも、制約の中にこそ、いちばん夢中になれる自由があった。
華々しい動機からの転職ではなかった。きっかけは、家族との暮らしを守ることだった。それでも、選んだ場所で一人担当を引き受け、10年かけて自分の領域を広げていった。守りたいものを大事にしながら、いちばん面白い仕事に出会っていた。
転職のきっかけが何であっても、選んだ場所で夢中になれるものは見つかるのかもしれません。あなたがいまいる場所には、どんな面白さが眠っているでしょうか。
※「ちばで転職した、ひとのはなし」編集部セレクト。実名・会社名・写真は、企業・本人の許可が取れた範囲で掲載しています。